日本人初となるスピードスケートでの金メダリストの清水宏保選手。
その栄光の陰には、想像を絶するトレーニングがあったという。
それは小学校低学年から始まった。
早朝4時過ぎから練習、放課後は夜8時近くまで練習、その全てに付き添った父親。
「お前は体が小さいから、人一倍練習しなくてはいけない。」父親との練習に明け暮れた少年時代。
スパルタだった父親。
「親父には殴られたし、蹴りも入ったなぁ。」 懐かしそうに当時を振り返る清水選手。
彼が高校に入学した頃、父親は体の不調を訴え始めた。やがて固形物が喉を通らなくなったが、それでもなお、
点滴をしながらスケートリンクに向かった。
スパルタに徹した父親。
その後、次第に病状は悪化し、彼が高校2年生の十二月、父親は入院を余儀なくされた。
清水選手が見舞いに行くと、
「こんなところに来ないで練習しろ。」
清水選手は二度も病室を追い出されたそうだ。
それから、年が明けて間もなく、父親は静かに息を引き取った。
その傍らには、何度も何度も繰り返し見た、清水選手の高校総体での優勝のビデオテープがあったという。
無償の愛。
父親の均(ひとし)さんは、清水選手が小学生の頃、既に、胃がんの宣告を受けていた。余命数年の命だった。
「俺は、お前が成人するまでは生きられない。早く一人前になれ。」
通夜の日も、葬式の日も練習を休まなかった清水選手。
「お父さんは、きっと練習しろって言うだろう。」
清水選手は泣きながら練習をしたそうだ。
昨年暮、長野オリンピック・スピードスケート金メダリストの清水宏保選手は引退を表明した。