松井の説教部屋

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13日

歓喜の調べ

年も暮れゆく師走、今年も日本各地で、ベートーヴェンの交響曲「第九」の演奏会が開かれる。

起源は、太平洋戦争最中の昭和十八年十二月、東京音楽学校(現東京芸術大学)で、出陣する学徒のために開

かれた壮行会において演奏されたことに由来する。

(昭和十八年には学徒出陣といって、大学生にも徴兵令が出された)

当時、日本と同盟関係にあったドイツが生んだ音楽家ベートーヴェン。

彼の少年期、ヨーロッパ諸国は絶対王政、封建下にあった。

衝撃の事件は彼が十九歳の頃起きた。 一七八九年のフランス革命だ。

「自由」「平等」「博愛」これがこの革命の精神。

ベートーヴェンはこの革命に強い感動を受けた。

その後、この革命の精神はナポレオンの名とともに、ヨーロッパ各地へ広がることになる。

一八〇四年完成した交響曲「英雄」はナポレオンを称えて作曲したものだ。

(この年、ナポレオンは、自らがフランスの皇帝となり、ベートーヴェンを落胆させた。)

一八二三年十二月、耳が聞こえなくなったベートーヴェンは全ての絶望を乗り越え、「歓喜」を

テーマに交響曲第九番(第九)を書き上げた。

「人間は、身分や貧富の壁を乗り越え結束できる。

地球上の全ての人々は仲間である。」これが交響曲「第九」に託されたメッセージなのだ。

平和を願い、自由に憧れたベートーヴェン。

その魂の集積ともいえる「第九」、それが学徒出陣で演奏される皮肉。

「時代」とは常にそんなものである。

「第九」は戦後、戦場に散った多くの友へのレクイエム(鎮魂歌)として演奏され、現代では、

もっと一般的な意味で、十二月になると全国各地で、演奏会が催されている。

ベートーヴェンが「第九」を完成させて五十余年の後、明治維新後、日本に文明開化の波が押し寄せる。

衣食住、習慣など日本人としての常識の西欧化が始まった。

日本人は、freedom、「自由」という言葉をこの時初めて知ることになる。

自らを由とすることで、「自由」。そう訳したのは福澤諭吉。

フランス革命に遅れること、百年。

「自由民権運動」に代表されるように「自由」は日本各地に浸透していった。

しかし、時代が昭和になると、この「自由」を「勝手」に操作する者達により、昭和十二年日中戦争、

昭和十六年太平洋戦争と、暗黒の歴史を歩まねばならなくなった。

同盟国ドイツもまた然りである。

福澤諭吉は当初、「自由」を「(自分)勝手」と訳していた。

時代は常に「自由」というタクトを振り「歓喜」の調べを奏でるコンサートホールであって欲しい。