松井の説教部屋

    おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

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                     「人生、片道切符よ!」

2009年

歓喜の調べ

年も暮れゆく師走、今年も日本各地で、ベートーヴェンの交響曲「第九」の演奏会が開かれる。

起源は、太平洋戦争最中の昭和十八年十二月、東京音楽学校(現東京芸術大学)で、出陣する学徒のために開

かれた壮行会において演奏されたことに由来する。

(昭和十八年には学徒出陣といって、大学生にも徴兵令が出された)

当時、日本と同盟関係にあったドイツが生んだ音楽家ベートーヴェン。

彼の少年期、ヨーロッパ諸国は絶対王政、封建下にあった。

衝撃の事件は彼が十九歳の頃起きた。 一七八九年のフランス革命だ。

「自由」「平等」「博愛」これがこの革命の精神。

ベートーヴェンはこの革命に強い感動を受けた。

その後、この革命の精神はナポレオンの名とともに、ヨーロッパ各地へ広がることになる。

一八〇四年完成した交響曲「英雄」はナポレオンを称えて作曲したものだ。

(この年、ナポレオンは、自らがフランスの皇帝となり、ベートーヴェンを落胆させた。)

一八二三年十二月、耳が聞こえなくなったベートーヴェンは全ての絶望を乗り越え、「歓喜」を

テーマに交響曲第九番(第九)を書き上げた。

「人間は、身分や貧富の壁を乗り越え結束できる。

地球上の全ての人々は仲間である。」これが交響曲「第九」に託されたメッセージなのだ。

平和を願い、自由に憧れたベートーヴェン。

その魂の集積ともいえる「第九」、それが学徒出陣で演奏される皮肉。

「時代」とは常にそんなものである。

「第九」は戦後、戦場に散った多くの友へのレクイエム(鎮魂歌)として演奏され、現代では、

もっと一般的な意味で、十二月になると全国各地で、演奏会が催されている。

ベートーヴェンが「第九」を完成させて五十余年の後、明治維新後、日本に文明開化の波が押し寄せる。

衣食住、習慣など日本人としての常識の西欧化が始まった。

日本人は、freedom、「自由」という言葉をこの時初めて知ることになる。

自らを由とすることで、「自由」。そう訳したのは福澤諭吉。

フランス革命に遅れること、百年。

「自由民権運動」に代表されるように「自由」は日本各地に浸透していった。

しかし、時代が昭和になると、この「自由」を「勝手」に操作する者達により、昭和十二年日中戦争、

昭和十六年太平洋戦争と、暗黒の歴史を歩まねばならなくなった。

同盟国ドイツもまた然りである。

福澤諭吉は当初、「自由」を「(自分)勝手」と訳していた。

時代は常に「自由」というタクトを振り「歓喜」の調べを奏でるコンサートホールであって欲しい。

20世紀少年

私もまた、二〇世紀少年だった。

幼少期の一九六八年、九大に米軍機ファントム墜落。

激化する学生運動。

体をゆらし走っていた路面電車の長椅子にお膳座りし、その窓から見た、学生のデモは今も鮮明な記憶として

私の中にある。

その年「♪おらは死んじまっただ・・・♪」が大流行する。作曲者の加藤和彦氏は先月他界された。

大人達は豊かさを求め、モーレツに働いた。どの家庭も裕福とは言い難いながらも、家族に温もりがあった。

そんな時代、高度経済成長と呼ばれた時代。集大成は大阪万博といえるだろう。

「人類の進歩と調和」をテーマに、東京オリンピックに次ぐ国家的イベントとして開催されたのが一九七〇年。

故岡本太郎画伯の「太陽の塔」は「なんじゃこりゃ」と誰もが思うほどの強烈なインパクトだった。

好景気が一転したオイルショックの年 、一九七三年。人気テレビドラマ「太陽に吠えろ」に登場した、ジーパン刑事、

松田優作。 今月六日で没後二十年となる今も、彼のファンだった私は、遺作である、ハリウッド映画「ブラックレイン」

は観られずにいる。

観るはずだった前売り優待券は今も机の引出しの中にある。

彼は、忍者でもカンフーでもない、日本の、アジアのハリウッドスターの先駆者といえる。

二〇世紀少年だった私は類に漏れず、野球少年だった。(少年野球ではない。子供の世界に大人は立ち入らなかった。 )

小学生当時、そこかしこにあった空き地がグラウンドである。

学校が終わり、家へ帰るやいなや、グローブとバットを持って、自転車でそこへ駆けつけなければならなかった。

その場所は早く占拠したものに所有権が与えられるという暗黙の了解があったからだ。早い話が「取ったもん勝ち」

それでも、遅くやってきた連中がなかなか帰ろうとしない場合は、これまた暗黙の内に「試合」となるのである。

子どもながらに、調和を保つ術を知っていたのだろう。

福岡の野球少年にとって、好きな球団はライオンズに決まっていた。

しかし、野球界のスーパースター、長嶋茂雄に憧れない者はいなかった。

背番号3。草野球の少年たちはこの背番号を競ってつけたものだ。

その長嶋氏が巨人軍を引退した年、一九七四年、後に「ゴジラ」と呼ばれる男の子が誕生する。

松井秀喜。

甲子園のスーパスターはドラフト会議で、野球界のスーパースターに引き当てられた。

その後、アメリカに渡り二〇〇九年ワールドシリーズ、チャンピオン、MVP。

 
二〇世紀少年には想像もつかぬ偉業を成し遂げた。
 
二一世紀少年たちは、どの窓からこの瞬間を目撃したのだろうか。

ワクチン

新型インフルエンザを予防するワクチンが開発された。

ワクチンとは、簡単にいえば、本物のウイルスから毒性を取り除いた偽物のウイルスと思えば良い。

これを体内に入れることで、免疫がつくられるわけである。(免疫とは、ウイルスに対抗する力)

WHO(世界保健機関)が、メキシコを発生源とした新型のインフルエンザにより57名が死亡し、今後、

アメリカ・メキシコを中心に全世界に大流行する可能性があると報告したのが今年4月。

日本の厚生省もこれを受け、感染者を水際で防ぐために国際線の空港で大げさとも思える検疫検査を行った。

このマスコミ報道で一時的ではあるが、薬局からマスクがなくなった。

当時の麻生内閣は異例とも思えるテレビによる政府公告(コマーシャル)で「冷静な対応を」と国民に呼びかけた。

福岡の小中学校で学級閉鎖が起こったのはそれより2ヶ月後の6月。

それから数か月、瞬く間に新種のウイルスは感染を拡大し、身近な症例となった。 日々増える学級閉鎖、学校閉鎖。

半年前のテレビのニュースが、気がつけば日常のものとなっている。

何よりもそのスピード。新型ウイルスに限らず、金融、経済、情報・・・。

海の外の話題は、いつの間にか、我々の身近で起きている。

そして、我々の裁量で処理しなければならないものになっている。
 

アメリカの金融危機に端を発した世界恐慌、長引く不況は未だ底を打つ気配を見せない。今月のアメリカの失業率は

約10%、これは一九八三年以来の悪化だそうだ。

その一九八三年、当時の大統領、レーガンは「経済衰退の原因は教育にある」とし、自ら組織した「教育の卓越に関す

る国家委員会」から、「危機に立つ国家」と題する報告書を提出させ、教育の大改革を断行した。

その報告書の内容とは、

「個性重視、自主性重視の教育がもたらしたものは、急激な学力低下を招いたばかりでなく、基本的な道徳をも身につか

せていない。これでは、国家は存続できない。まさに、国家の危機である」というもの。

この改革から二十年後、アメリカ経済は見事復活を遂げることになる。

しかしその十年後にはバブル経済故の、バブル崩壊となり、現在に至っている。

我が国の失業率は5%超。かつてのアメリカのような教育の大改革の必要があるのではないか。「経済衰退の原因は教育

にある」、もはや、ワクチンなどという予防では何の意味ももたない。

10年かかるか、20年かかるか。大手術が必要ではないだろうか。

政権交代

またしても、お坊ちゃまくんの総理大臣が誕生することになりそうだ。

今月一六日、特別国会で首班指名(総理大臣の指名)を受けるのは衆議院第一党、民主党の党首、鳩山由紀夫氏。

麻生太郎首相の後に、政権の座に就くことになる。

この鳩山家、日本のケネディー家と称される名門一族である。

由紀夫氏の祖父は鳩山一郎元首相。鳩山一郎氏は自由民主党(自民党)を結成し、初代自民党の総裁になった人物。

※ 一九五六年には、旧ソ連と国交を回復することになる、日ソ共同宣言の調印は教科書にも記載がある。

その自民党に今回の衆議院総選挙で圧勝したのが、民主党を結成した孫の鳩山由紀夫氏。

孫が祖父を破ったことになる。

事実は小説よりも奇なりで、祖父の一郎氏は、麻生太郎首相の祖父、吉田茂元首相の後に政権の座に就いた人物なのだ。

新首相となる鳩山由紀夫氏の父は昭和五一年の福田内閣で外務大臣を務めた人物。

弟の邦夫氏は、数々の大臣の職を歴任し、麻生内閣では、最近まで総務大臣であった。

また、平成3年文部大臣就任時には、中学校から、業者テストを追放した人物でもある。

ちなみに、邦夫氏の長男も政治家で、名を太郎という。 事実は小説よりも奇なり。

名門鳩山家。

次期首相となる鳩山由紀夫氏の曾祖父から数えて、五代目(由紀夫氏の長男)まで、男子八名全員が現役東大合格

というのはあまりにも有名な話である。

由紀夫氏は高校時代、昭和の大学受験参考書の大ベストセラー「試験に出る英単語」通称「出る単」の執筆者、

故森一郎氏の自宅に呼ばれ、八〇〇語程度の単語を覚えるように言われた。

彼は自宅の一角にある黒板に、覚えにくい英単語を書きとどめ、いつでも眺められるようにした。

また、弟の邦夫氏は、先生になりきり、黒板の前に立ち、授業をすることで数学の解法を学んだという。

ノートを黒板に。 椅子に座ることを立つことに代えた彼らの勉強法。

政権交代は今月一六日。

沈まぬ太陽

局地的ゲリラ豪雨が多発した今年の梅雨。

その合間に見ることができた部分日食。

残念ながら、皆既日食が見られた地域は少なかったらしい。

月が太陽を隠す神秘。

四六年ぶりの天文ショーに日本中が熱狂した。

日本は古代より太陽信仰の国である。

七世紀、聖徳太子は、隋(中国)の皇帝煬帝に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。

つつがなきや」の内容で国書を送り、八世紀には日本(日ノ本)の国名を使っていた。

いわずもがな、日本の国旗は日の丸である。

政事(まつりごと)には常に太陽があった。 

太陽信仰の国日本。

そもそも日本の最大神は天照大神(アマテラスオオミカミ)だ。

〈天照大神は高天原(たかまがはら・天上界にあったとされ、神々が生まれ出る場所)を治めていた。〉

二十世紀、政事は軍事と同化し、「神」と「日の丸」の皇国史観のもと、最大国アメリカにさえ宣戦布告を行った。

日本の空爆によるハワイ・真珠湾への奇襲がそれだ。

しかし星条旗のもと、アメリカは二度に及ぶ原爆の投下で日本を無条件降伏へと導き、占領下においた。

「星」に覆い隠された「太陽」。 一九四五年。 昭和二十年八月一五日、終戦。 六四年前のことである。

アメリカはヨーロッパと並ぶ航空機先進国である。

ヨーロッパはエアバス社、アメリカはボーイング社、世界2大航空機会社だ。

特に、ボーイング社のボーイング747は子どもたちの憧れの飛行機だった。

一九八五年(昭和六〇年)八月一二日、その事故は起きた。

午後六時、羽田発大阪行 JAL123便。

お盆の帰省客やビジネスマンを乗せた満員のボーイング747は快適な空の旅をする予定だった。

しかし、群馬県上空で突如操縦不能となり、午後六時五六分、御巣鷹山(おすたかやま)の尾根に無残

にも墜落してしまった。

一瞬にして五二〇名の命が奪われるという航空機事故史上最大の惨事が起きたのだ。

当時日本航空の機体のマークは鶴丸と呼ばれ、日の丸に鶴をかたどったものであった。

この墜落現場は御巣鷹山となっているが、正確には、高天原(たかまがはら)山系である。

        — RISING SUN(風の勲章) —

                     作詞・作曲 浜田省吾

焼け跡の  灰の中から 強く高く 飛びたった
  落ちてゆく 夕日めがけ 西の空を見上げて

  餓えを 枕に 敗北を バネに 
  風向きを 道標に 駆け抜けてきた・・・

  過ぎ去った 昔のことと 子供たちに 何1つ
  伝えずに この国何を 学んできたのだろう・・・
  
  飽和した 都会 集う家は 遠く
  ブラウン管の前でしか 笑わぬ 子供

  老いてゆく 孤独の影に 怯え 明日に目を伏せて
  踊るだけ ビートに委ね バリ・ライトの海で・・・

  何を支えに 何を誇りに 走り続けていこう
  YOU just billibe in money・・・

  焼け跡の 灰の中から 強く 高く 飛びたった
  1945年 打ちのめされ 砕けた心のまま・・・
  1945年 焼け跡から 遠く跳びたった今・・・・

竹取物語の「かぐや姫」は八月の一五夜、天人に迎えられ月に帰った。

先月十一日、月周回衛星「かぐや」は月面に制御落下し、アポロ計画以来最大規模の任務を終えた。

「かぐや」が撮影したハイビジョンカメラによる月面の映像は世界中を感動させた。

宇宙のカメラマン的任務を終え、今ひっそりと月にその身を置いた。

月に二人の「かぐや」。

古代より、日本人にとって、月は風情の対象とされた。

「古今集」「新古今和歌集」などの和歌集には月をテーマにした歌が数多く残されている。

月明かりを頼りに夜を過ごし、月の満ち欠けは暦となった。

月が全く見えない状態を一日と決め、 三日目に肉眼で見える状態になる、これを三日月と呼んだ。

十五日日めには月全部が見える満月となりこれを境に月は元の見えない状態に変化していく。

十五日を境にするわけだから、三十日で1サイクルになる。

三十日で一つ。これが一ヶ月の由来だ。以上が太陰暦の考え方だ。

(だから一日は常に闇夜で、十五日は常に満月となる。日本は江戸時代までこのカレンダーで生活していた。)

太陽により映し出される月。

太陽の存在無くしては見ることのできない月。

「陰と陽」、陰である月が今月二十二日午前、太陽を覆い隠す。

陰が陽と化す。今世紀最大の天文ショー、皆既日食が起こる。

残念ながら、それを見ることができるのは鹿児島県の屋久島~奄美諸島北部だ。

福岡県では部分日食を見ることができる。

部分と言っても、80%以上の太陽が月によって隠されることになるので、見ごたえ十分。

イメージとしては、三日月のような太陽を想像すればよい。

日食は、午前九時三七分に始まり、十時五六分に最大となり、午後十二時一七分に終了する。

夏休みだからと言って昼まで寝ていると天文ビッグショーを見逃すことになる。

規則正しい生活を続けること。

キング・オブ・ポップ、世界のスーパースター、マイケルジャクソンが五〇歳の若さで急死した。

陽が陰と化した。

彼の追悼式でハリウッド女優のブルックシールズは 「空を見て、マイケルが三日月から見てるわ。

私たちもスマイルしなくちゃ。」

今夜、月を見よう。

王と姫、彼らを撮影するカメラマンが見えるはずだ。

マイケルは、ムーンウォークしているに違いない。

世界天文年

「梅雨前線停滞中」、間もなくこの言葉を耳にする時期に入る。

天気予報は一昔前までは、あてにならないものの代名詞だった。

気象衛星の進歩とともに、今や市区町村単位での気象予測が常識となった。

二十世紀後半、東西冷戦の時代、軍事的にも政治的にも経済的にも対立関係にあった米ソ

(アメリカとロシア)は熾烈な宇宙開発の競争を行っていた。

一九六九年アメリカは人類史上初の月面着陸に成功する。

アームストロングを船長とするアポロ十一号がそれだ。

四十年後の今年、アメリカを中心として開発された国際宇宙ステーションにロシアの宇宙船

ソユーズがドッキングした。今月二九日のことである

 
    宇宙ステーションに長期滞在中の若田光一さんのブログより   5月29日

「今日は、国際宇宙ステーション(ISS)計画にとって歴史的な一日となりました。

ロシアのソユーズ宇宙船(19S)がISSのザーリャモジュールに予定通りドッキングし、

ロシアのロマネンコ飛行士、カナダのサースク飛行士、ヨーロッパ宇宙機関のディビュナー

飛行士(ベルギー出身)の3人の宇宙飛行士がISSに到着しました。・・・」
 
 
話を遡れば、近世、一六〇九年イタリアのガリレオ・ガリレイが自作の望遠鏡で天体観測を行って、

今年で四百年にあたる。

これを記念して、ユネスコは二〇〇九年を世界天文年と定めた。

近世→近代→現代と人類の科学技術の進歩は凄まじい。  
                 
        
             以下、宇宙飛行士の言葉。

●アメリカの宇宙飛行士、エドガー・ミッチェル

   「うれしかったのは、宇宙には調和があり、目的があり、創造の力があることを感じたときだ。

    悲しかったのは、人間がそれを知りながら、それに反対する行為をしているのに気づいたときだ。」

 
●メキシコのロドルホ・ネリ・ベーラ飛行士

   「宇宙から地球を見ていると、この地球に生まれて死んでいった人々、現在生きている人々、これから

生まれてくる人々を思う。そして、自分はその無数の人間のひとりであると改めて思う。

次に考えるのは、私たちの存在はなにかということであり、短い生を精一杯楽しみ、かつ十分に他と分かち合っ

て生きるにはどうしたらよいか、ということである。」

 
●アメリカの宇宙飛行士ウォーリーシラー

   「宇宙から地球を眺めると、ベトナムの戦火は見えたが、国境は見えなかった。」

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東西冷戦の終末に代表されるベルリンの壁崩壊から二〇年を迎える現在も、ミサイル発射準備にとりかかった

国がある。

2つの前線が張り出したままぶつかり合う現象を停滞前線という。

忌野 清志郎

今月二十一日より始まる裁判員制度。

裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、

強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての

裁判である。 司法の場に、ど素人の一般人が強制参加させられる。

一般人のほとんどは労働者だ。その労働者の九九%は中小・零細企業に従事している。

会社にとっても労働者にとっても望まない制度ではないだろうか。

年間で2万人以上の裁判員が誕生することになるのだが、その日当は税金から捻出される。

(日本国の現時点の借金は約九五〇兆円、数秒に数千万円増額している。

この借金、国民1人あたり約七五〇万円にあたる。)

戦前の召集令状は赤色だったが今回の国家からのラブレターは何色で届くのだろうか。

三〇年前、カラフルな衣装とパンクヘアーの忌野清志郎(いまわのきよしろう)をテレビで

見た時の印象は今も忘れない。

現代ファッションの普通を,彼は一九七〇年代に着こなしていたのだ。

現在、男子学生がよくやる頭ボサボサも、間違いなく「清志郎」が元祖だ。

一アーティストでありながら、反戦・反核、国家と闘った人間。 

そして世代を超え多くの人に愛された人間。

彼は、働くおじさん代表であり、国家家への社会批判の代弁者であった。 

戦後、日本のアメリカ占領下からの独立の年に生誕し、今月二日、喉頭(こうとう)がんのため永眠した。

命日となった五月二日は、労働者の祭典「メーデー」と憲法記念日に挟まれているのは必然としか思えない。
 
       
         奇妙な世界     忌野清志郎
  
   普通の暮らしをしている人 忙しく仕事にあけくれて
   家に帰ってテレビをつけると奇妙な世界が始まっていた
  善と悪の区別もない正義をふりかざす戦争ごっこ
   ミサイルがこっちを向いている奇妙な世界が始まっていた
   
     きれいな空を僕は信じてる
     窓を開けると雲が流れてる
  
   普通の暮らしをしている人 家族のために働く人
   明日のために眠る人 夕飯の支度をする人
   読みかけの本を開く人 大事な夢を持ってる人
   大事な人を愛する人 子供の帰りを待つ人
   自分の国しか知らない人 自分の事しかわからない人
  
   奇妙な世界よ消えてくれ 奇妙な世界よ消えてくれ
   奇妙な世界よ消えてくれ 奇妙な世界よ消えてくれ

唯我独尊(ゆいがどくそん)

紀元前5世紀、インドで一人の男子が誕生した。

その子は生まれた途端七歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して、こう語ったという。

「天上天下唯我独尊」(てんんじょうてんげゆいがどくそん)

この男子、名を、ゴータマ・シッダールタ=仏教の開祖、釈迦の誕生である。

「天上天下唯我独尊」しばしば、誤って解釈される言葉。

かの広辞苑にも「世の中で自分一人だけが優れているとすること。ひとりよがり。」とある。

次の「詩」は小学校国語の教科書全社が採用しているもの。

   「私と小鳥と鈴と」    金子みすず
 

   私が両手をひろげても、

   お空はちっとも飛べないが、

   飛べる小鳥は私のやうに、
 
  地面(じべた)を速くは走れない。

   私がからだをゆすっても、

   きれいな音は出ないけど、

   あの鳴る鈴は私のやうに、

   たくさんな唄は知らないよ。

 
   鈴と、小鳥と、それから私、
 
   みんなちがって、みんないい。
 

明治36年生まれ、26歳の若さで亡くなった天才童謡詩人、

金子みすずの詩だ。
   

「唯我独尊」、この「詩」にその意味を知ることができる。

この世の中で、みんなそれぞれにお互い自分というのは、かけがえのない尊い存在であり、

かけがいのない尊い命である。

お互いの違いを認め、理解し合うことに努めなければならない。
 

「クリスマス」ほどメジャーではない「花まつり」釈迦の誕生日は四月八日。
 
仏教は五三八年、百済(朝鮮半島)より日本に伝えられた。

その朝鮮半島の長距離弾道ミサイル?通信衛星?が日本上空を通過した。

相互理解の難しさを痛感する大ニュースだった。
 
「和をもって尊しとなす」聖徳太子が十七条の憲法を制定したのは六〇四年四月三日。

3月 弥生

三月に入った。年が明けて二ヶ月が過ぎた。一月は行く。

二月は逃げる。あっという間だった。

陰暦で三月は弥生。語源は、「弥」・・・いよいよ。 「生」・・・生い(おい)。

つまり、草木がいよいよ芽吹き始めるということだそうだ。
 
三月、極寒を耐えた月である。

自然の生命がすべてそうであるように、私たちも芽吹かなければならない。

幕末の志士、吉田松陰の「講孟余話」(こうもうよわ)に、「桃の類は冬の雪に遭えば

枯れてしまうが、松や柏だけは雪の中でも青々としている。

人間の才能もこれと同じである。

世の中には、才能豊かな若者が大勢いるが、艱難辛苦(かんなんしんく)を経るに従って

優れた才能が崩れる者が少なくない。

寒さの中の雪は桃が枯れる原因であり、同時に松や柏が完成する原因である。

同様に、艱難辛苦は、人が挫折する原因であり、同時にその才能を完成させる原因である。

自分は才なき者ではあるが、松や柏に笑われぬようにしなければならない。

我が身を磨き鍛えて立派な人物にならなければならない。」とある。
 

その吉田松陰が密航しようとしたアメリカの話。(ぺりーの船に乗ろうとした。)

一七歳 マラリアにかかる

一九歳 天然痘(てんねんとう)にかかる
   
    肋膜炎(ろくまくえん) にかかる二五歳 赤痢にかかる

三五歳 再び赤痢にかかる

四五歳 虫歯ですべての歯がなくなる

この人物は、ジョージ・ワシントン。

アメリカ合衆国初代大統領である。

あり得ない数の病魔に襲われながらも野心を捨てなかった男である。

病魔が彼自身を磨き鍛えたのだ。父親が大切にしていた桜の木を切って、

正直に父親に謝罪した話は有名。  

三月、極寒を耐え、我が身を鍛えた受験生が才能を開花させる季節。
 
桜も花ビラを咲かせる準備は完了しているに違いない。       
                      
                            サクラ、サケ