松井の説教部屋

    おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

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「行動は俺のもの、コメントは他のもの、俺の知ったことじゃない。」
                     「人生、片道切符よ!」

02月

その瞬間のために

2月24日最終模擬試験

自己最高更新者

Nさん・・・37点   T君・・・17点   N君・・・15点

Kさん・・・11点   Oさん・・・9点   Fさん・・・8点

M君・・・8点      D君・・・6点   K君・・・5点

H君・・・4点     H君・・・2点

2008年義修館模試日程も最終模試となった2月24日

みんな良くがんばった。

残念ながら自己最高を更新できなっかた生徒も「こんちく

しょう!」の気持ちで残り少ない受験生生活を楽しんでくれ。 

そして、今日参加できなかった高専受験生の健闘も称えたい。

さて、残り少ない受験生生活。お前達に伝えておきたい言葉

も少なくなってきたのだが、というより、授業中に何度か言った

話だが・・・・・・

「成功は1度だけだよ。」成功なんて一瞬の出来事だよ。その

瞬間の成功のために無限の努力をする。有限である時間を最

大限活用する。

自分が立てた目標に到達することが成功。

しかし、目標はあくまでも通過点。

いうなれば

”成功して当たり前”の努力を惜しまないこと。

合格発表当日、受験校の合格掲示板の前で起こる瞬間が成功

でありますように。

                   福岡県公立受験まで残り16日

~ビニール袋よりお袋~

やはり1月は行ってしまった。

大学入試センター試験を皮切りに受験シーズンが始まった。

2月は逃げる。

節分と言えば豆まき。昔は、住宅街のあちらこちらで、

「鬼は外、福は内」の声が聞こえていた。僕たち子どもは、

お父さんを鬼にして、ケラケラ笑いながら豆をぶつけていた。

今は「恵方巻」なるモノが流行っているらしい。この「恵方巻」

元は大阪の商人が始めた縁起担ぎである。その年の恵方

(ラッキーな方角)を向いて、黙って巻き寿司をかぶりつくという。

なるほど、家々からにぎやかな笑い声が消えたわけだ。

恐るべし、コンビ二の力。(数年前、大手コンビ二が流行らせた。)

以前の風習は商業主義により一変させられる。

しようがないことか。

わが国日本は明治時代、文明開化の名の下、日常生活の洋風化

を急速に普及させた。

暦も明治5年(1872年)12月3日を明治6年1月1日とした。

いわゆる太陽暦の採用である。そして欧米の功利主義が日本に浸

透していく。

受験シーズンは3月まで続く。

お母さん方に言いたい。

お弁当は「ビニール袋」より「お袋」

最後の1点は愛情あるお弁当で決まる。

3.12福岡県入試まで1ヶ月

2/10実施福岡県入試模擬試験

自己最高更新者

Kさん・・・12点UP   Nさん・・・12点UP   Kくん・・・12点UP

Tくん・・・11点UP    Dくん・・・11点UP   Fさん・・・ 6点UP

Dさん・・・6点UP

明日12日は公立高校の推薦入試。今月は私立入試、発表と、慌た

だしく時間が流れている。受験生は時間の経つ速さを実感している

のではないだろうか。

さて、わが義修館の模擬試験も残り1本となってしまった。

最終模擬試験は2月24日、この時期になると、上位層レベルの生徒は

自己最高得点も出しにくいのだが、松井組生徒よ、よくやった。

7名もの生徒が自己最高を叩き出した。

8月の模試と比較すると、松井組の平均点は40点伸びている。

最終決戦の3月12日まで1ヶ月。

               指令 ⇒ あと、20点伸ばせ。

永井博士二女茅乃さんのご冥福をお祈りいたします

永井博士の生誕100年を迎える前日、2月2日永井博士の二女

筒井茅乃(カヤノ)さんが亡くなられた。享年66歳。

永井博士の著書の中で、何度も「カヤノ」「カヤノ」とその名がでて来る。

「この子を残して」~家に父あれば~より

1年生は帰ったのにカヤノだけはまだ来ない。どうしたのだろう?

入学してから三週目だから、まだ居残って特別の用事があるはずもない。

けがでもしたのなら学校はついそこだから、だれかが知らせて来そうなものだ。

二十分ばかりたって、門のところで、
「ただいまっ」

といつもの元気のいい声がした。 しかし今日に限って、ばたば駆けこんで来ない。

どうしたのだろうと私は首を枕からもたげ、ガラス越しに見た。

カヤノが庭へ入って来た。両手に何かを持って、一心にそれを見つめ、すり足でしずかに歩いてくる。

非常に用心ぶかい足の進め方だ。あんな調子で学校から帰ってきたのなら二十分もかかるはずだ。

いつもなら三分もかからぬ、ついそこなのだが。

ようやく私の病室へたどりつき、おえんがわに両手に持ってきたものを置いたのを見ると、

学校給食のおわんである。      

             ~途中略~

あのネ、門を出るところで二年生におされて、こぼしたの」

と、いかにも惜しそうに言った。

おわんの中を見ると、こぼれずに残った、わずか二口足らずのパイン・ジュースが入っていた。

「今日の給食はネ、ひと口いただいてみたら、とてもおいしかったも んだから・・・・・

さあ、お父さん、おあがりよ、おいしいのよ」

                 茅乃さんのご冥福をお祈りいたします。

※永井博士とは故永井隆氏のこと。
 永井博士は、長崎大学の放射線の医師。1945年8月9日長崎で
 自ら被爆し被爆しながらも 被爆者の救護活動にあたる。
 1951年に亡くなるまで、放射能(原爆)の研究、執筆活動を行う。
              (永井隆著の「長崎の鐘」を読んで欲しい)
 
 2月2日亡くなられた ”カヤノ” さんも1985年、「娘よ、これが長崎です」を執筆。
 昨年2007年に22年ぶりに新装版として、出版されたばかりであった。
 

 修学旅行で長崎を訪れたことがあるならば、永井博士の家は見学
 していると思う。如己堂(にょこどう)と永井博士が呼んだその家は
 畳2枚分の小さなもの。そこに、2日亡くなられた茅乃さん、長男の
 故誠一さんと3人で暮らしていた。

マジでがんばれ

今日は私立高校入試当日の午前1時50分。当然受験生は

明日に備え快眠中だろう。

お前らマジで、がんばれよ!

手はかじかまないようにしとけよ。

お手洗い、ちゃんと行っとけよ。

周りの受験生にびびるなよ。

ちゃんと、試験場で100マス計算やれよ。

解る問題から解いていけよ。

終わった教科の答え合わせとかするなよ。

弁当は腹八分にしとけよ。

お母さん達、弁当に気合入れすぎてなかろうね。(ちょっと心配。)