松井の説教部屋

    おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

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「行動は俺のもの、コメントは他のもの、俺の知ったことじゃない。」
                     「人生、片道切符よ!」

2010年

龍馬伝最終怪

報道機関の宿命であろうか。  

NHK大河ドラマ「龍馬伝」の最終回に、こともあろうに今まさに、龍馬が暗殺されようとするその時、

「選挙速報・当選確実」のテロップが流れた。

我々視聴者、いや、少なくとも私自身は興ざめでしかなかった。

十一ヶ月間に渡り放送されてきた全てのシーンは、この最終回に帰結するためのプロローグである。

その最終回のクライマックスもクライマックス、これ以上のシーンはないというまさしくその場面に、何故? 

疑問だけが残る。

当然、純粋にそのタイミングで「当確」が判明したのならば、それは仕方のないことだろうが、この選挙があっ

た愛媛県の地元テレビはその40分以上も前に同じ内容の選挙速報を流している。

とすればNHKサイドが意図的に龍馬暗殺シーンを選んで流したのか?

まさか、NHK 内部が看板番組ともいうべき、大河ドラマをストレートにぶち壊すとは考えられない。
 
怪現象、愛媛県の選挙速報は何故あのタイミングで流れなければならなかったのか。

一体誰が最大の見せ場を台無しにしたのか。

龍馬の出身地、高知・土佐を恨んでいた者。

愛媛が舞台の、司馬遼太郎氏の著書の一部を引用する。

「信さんが十歳になった年の春、藩も秋山家もひっくりかえってしまうという事態がおこった。

明治維新である。

「土佐の兵隊が町にくる」

ということで、藩も藩士も町人もおびえきった。・・・中略・・・・

・・・・・幕末、長州征伐では幕府の命をうけて海を渡り、長州領内で戦った。要するにこの時勢での区分けでは、

佐幕派であった。 おなじ四国でも、土佐は官軍である。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・中略・・・・・・城も市街も領土も、一時は土佐藩が保護領としてあずかるかたちになった。

城下の役所、寺などには、「土州下陣(・・げじん) というはり紙が出された。信さんは十歳の子供ながら、

この光景が終生忘れられぬものになった。

「あれを思うと、こんにちでも腹が立つ」

と、かれは後年、フランスから故郷に出した手紙のなかで洩らしている。・・・・・・・・・・・
 

信さんとは「秋山 好古(よしふる)」

この引用した著書、「坂の上の雲」の主人公の一人である。

「坂の上の雲」は龍馬伝の後、スペシャルドラマとして放送される。

※土州下陣・・・土州は土佐のことで、土佐の支配下にあるという意味。

今の自分に満足ですか

夏も近づく八十八夜、5月だ。

立春から八十八日が過ぎ、新年度から、ひと月が過ぎた。

2010年も3分の1が終わったことになる。

正月に、立春に、新年度に、ことあるたびに心機一転を

誓ってきた迷える子羊達よ、
  
 

  今の自分に満足ですか。
 
  夢が無いわけではない。

  希望を持っていないわけでもない。

        ・・・・・・でも、何もしてこなかった。

  そんな自分に満足ですか。

  勉強ができるとか、できないとか、

  そんなちっぽけなことはどうでもいい。
 
  大事なことは、

  夢や希望を叶える努力をしていくこと。

  だから、毎日が大変になる。

  ぼーっと なんかしていられない。

  それは自分に挑戦すること。
  
  ライバルは昨日の自分。

  念じてみよう。

  今、この瞬間感じたこと。

  それを心で受け止めよう。
  
  「念ずれば花ひらく」
   
  きっと、自分が好きになる。
      

         ・・・・・今の自分に満足ですか。・

夏が終われば二百十日、9月だ。

ぼちぼち、台風接近ということにる。

心機一転には遅すぎる。    

新年度

新年度に入った。 まだまだ肌寒い。

移動性高気圧による三寒四温も、しばらく続くだろう。

春の、この曖昧さがいい。

四季を持つ国の住人だけが知る、この感覚。

年度末、三月は卒業の月。そして四月。

春には別れと出会いが交差する。

その中心に流れ往く時間。
 
四月は再出発の月だ。全てはここから始まる。

心機一転、奮起を促そう、一身独立して国家独立だ。
 
 

      『信念の力』    ナポレオン・ヒル

「もしあなたが負けると考えるなら、
                
                  あなたは負ける。

もしあなたが駄目だと考えるなら、
              
                あなたは駄目になる。

もしあなたが勝ちたいと思う心の片隅で

無理だと考えるならあなたは絶対に勝てない。

もしあなたが失敗すると考えるなら、
            
                 あなたは失敗する。

世の中を見てみよ。最後に成功を願い続けた人が

              成功しているではないか。

全て『人の心』が決めるのだ。

もしあなたが勝てると考えるならあなたは勝つ。

『向上したい』 『自信を持ちたい』と、もしあなたが

そう願うのならあなたはその通りの人になる。

さぁ、再出発だ。

強い人が勝てるとは限らない。又、すばらしい人が

                    勝つとも限らない。

『私はできる』 そう考える人が結局は勝つのだ。」

 
         

          春夏秋冬、その原点に春がある。

十五の君へ

春一番が吹き、にわかにこの季節特有の息吹を感じる。

ひと雨ごとに暖かくなる。

春はもうすぐ。

街路樹の桜も、その一枝一枝に生るつぼみ達は、一斉に空を見上げ、

まだ柔らかい日差しを精一杯浴びようとしている。

みんな、咲きたいのだ。

       十五の君へ
 
君は、いっぱい、いっぱいの努力を重ねてきました。

猛暑の夏、寒風吹きすさぶ冬。

ある時は、ひどく叱られた日もありましたね。

けれど、君はくじけなかった。

泣きたい時だって、たくさんあったはずです。

でも、君はそんな姿を見せることはしませんでした。

君はもう知っています。

夢のない人生が無意味で、

夢のある人生が苦痛であるということを。

そして、その苦痛は、おもしろいことだということを。

君はもう知っています。

一瞬の輝きのために、

限りない努力が必要なことを。

そして、その努力はおもしろいことだということを。
  

君はもう知っています。

お母さんやお父さんが、どんな思いで

君を育ててきたかということを。

そして、その人達から、無償の愛を受けていると

いうことを。

君は、たくさん、たくさんのことを学びました。

十五年かかりましたね。
 
そんな君が今日、受験を迎えます。

その日を迎えられることに
 
      「おめでとう」
 
               きっと君は咲きます。 

無償ということ

荒れる成人式。平成生まれもまた、例外ではなかった。

公費の無駄遣いと思わざるをえない低モラルの若者達。

これでは納税者は報われない。

今、私の目の前にいる十五歳の若者に教えなければならないことがある。

「来月、君は義務教育を卒業する。誤解しないで欲しいことは、義務教育とは、親が子どもに教育を受けさせなけ

ればならないものであって、君が、義務を果たしたわけではない。君は、教育を受ける権利を行使したにすぎない。

その義務教育期間の九年間、学校の授業料は無償であった。言うまでもないが、無償というのは、『タダ』を意味する。
 
ここで考えて欲しい、本当にお金はかかっていなかったのか。

例えば授業中、無意識に落書きをした、君のモノと思い込んでいる 『机』 〈2万位か?〉、

体育の授業で使う『バレーボール』〈○千円位〉、
 
君に国語を授業する『先生』〈月給○十万円〉・・・・・・・・。

どれをとっても『タダ』ではないのだ。これら全ての費用は、周りの大人たちが税金という形で負担してくれたものなのだ。

だから、一つひとつの『モノ』を大事にしなければならない。

だから、しっかりと勉強をしなければならない。

だから、君は納税者である大人達に感謝をしなければならない。」

間もなく、通常国会で高校無償化法案は可決され、公立高校の授業料をも 『タダ』になる。

家計の経済的負担の軽減としては結構なことなのだが、誰一人として、子ども達に、感謝をすることを教えず、

教育費の無償化だけが先走りするのは極めて危険なことだ。
 

この世の中に『タダ』なものなどないのだ。

あるとすれば、君が親からもらった、君自身の『身体』。

だからこそ、自分自身を大切にしなければならないし、親に感謝をしなければならないのだ。

無償の愛

日本人初となるスピードスケートでの金メダリストの清水宏保選手。

その栄光の陰には、想像を絶するトレーニングがあったという。

それは小学校低学年から始まった。

早朝4時過ぎから練習、放課後は夜8時近くまで練習、その全てに付き添った父親。

「お前は体が小さいから、人一倍練習しなくてはいけない。」父親との練習に明け暮れた少年時代。

スパルタだった父親。

「親父には殴られたし、蹴りも入ったなぁ。」 懐かしそうに当時を振り返る清水選手。

彼が高校に入学した頃、父親は体の不調を訴え始めた。やがて固形物が喉を通らなくなったが、それでもなお、

点滴をしながらスケートリンクに向かった。

スパルタに徹した父親。

その後、次第に病状は悪化し、彼が高校2年生の十二月、父親は入院を余儀なくされた。

清水選手が見舞いに行くと、 

「こんなところに来ないで練習しろ。」

清水選手は二度も病室を追い出されたそうだ。

それから、年が明けて間もなく、父親は静かに息を引き取った。

その傍らには、何度も何度も繰り返し見た、清水選手の高校総体での優勝のビデオテープがあったという。
      

無償の愛。

父親の均(ひとし)さんは、清水選手が小学生の頃、既に、胃がんの宣告を受けていた。余命数年の命だった。
 
「俺は、お前が成人するまでは生きられない。早く一人前になれ。」
 
通夜の日も、葬式の日も練習を休まなかった清水選手。

「お父さんは、きっと練習しろって言うだろう。」

清水選手は泣きながら練習をしたそうだ。
  

昨年暮、長野オリンピック・スピードスケート金メダリストの清水宏保選手は引退を表明した。