松井の説教部屋

    おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

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                     「人生、片道切符よ!」

14日

無償の愛

日本人初となるスピードスケートでの金メダリストの清水宏保選手。

その栄光の陰には、想像を絶するトレーニングがあったという。

それは小学校低学年から始まった。

早朝4時過ぎから練習、放課後は夜8時近くまで練習、その全てに付き添った父親。

「お前は体が小さいから、人一倍練習しなくてはいけない。」父親との練習に明け暮れた少年時代。

スパルタだった父親。

「親父には殴られたし、蹴りも入ったなぁ。」 懐かしそうに当時を振り返る清水選手。

彼が高校に入学した頃、父親は体の不調を訴え始めた。やがて固形物が喉を通らなくなったが、それでもなお、

点滴をしながらスケートリンクに向かった。

スパルタに徹した父親。

その後、次第に病状は悪化し、彼が高校2年生の十二月、父親は入院を余儀なくされた。

清水選手が見舞いに行くと、 

「こんなところに来ないで練習しろ。」

清水選手は二度も病室を追い出されたそうだ。

それから、年が明けて間もなく、父親は静かに息を引き取った。

その傍らには、何度も何度も繰り返し見た、清水選手の高校総体での優勝のビデオテープがあったという。
      

無償の愛。

父親の均(ひとし)さんは、清水選手が小学生の頃、既に、胃がんの宣告を受けていた。余命数年の命だった。
 
「俺は、お前が成人するまでは生きられない。早く一人前になれ。」
 
通夜の日も、葬式の日も練習を休まなかった清水選手。

「お父さんは、きっと練習しろって言うだろう。」

清水選手は泣きながら練習をしたそうだ。
  

昨年暮、長野オリンピック・スピードスケート金メダリストの清水宏保選手は引退を表明した。