松井の説教部屋

    おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

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「行動は俺のもの、コメントは他のもの、俺の知ったことじゃない。」
                     「人生、片道切符よ!」

義修館通信コラム

忌野 清志郎

今月二十一日より始まる裁判員制度。

裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判のうち、殺人罪、傷害致死罪、

強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての

裁判である。 司法の場に、ど素人の一般人が強制参加させられる。

一般人のほとんどは労働者だ。その労働者の九九%は中小・零細企業に従事している。

会社にとっても労働者にとっても望まない制度ではないだろうか。

年間で2万人以上の裁判員が誕生することになるのだが、その日当は税金から捻出される。

(日本国の現時点の借金は約九五〇兆円、数秒に数千万円増額している。

この借金、国民1人あたり約七五〇万円にあたる。)

戦前の召集令状は赤色だったが今回の国家からのラブレターは何色で届くのだろうか。

三〇年前、カラフルな衣装とパンクヘアーの忌野清志郎(いまわのきよしろう)をテレビで

見た時の印象は今も忘れない。

現代ファッションの普通を,彼は一九七〇年代に着こなしていたのだ。

現在、男子学生がよくやる頭ボサボサも、間違いなく「清志郎」が元祖だ。

一アーティストでありながら、反戦・反核、国家と闘った人間。 

そして世代を超え多くの人に愛された人間。

彼は、働くおじさん代表であり、国家家への社会批判の代弁者であった。 

戦後、日本のアメリカ占領下からの独立の年に生誕し、今月二日、喉頭(こうとう)がんのため永眠した。

命日となった五月二日は、労働者の祭典「メーデー」と憲法記念日に挟まれているのは必然としか思えない。
 
       
         奇妙な世界     忌野清志郎
  
   普通の暮らしをしている人 忙しく仕事にあけくれて
   家に帰ってテレビをつけると奇妙な世界が始まっていた
  善と悪の区別もない正義をふりかざす戦争ごっこ
   ミサイルがこっちを向いている奇妙な世界が始まっていた
   
     きれいな空を僕は信じてる
     窓を開けると雲が流れてる
  
   普通の暮らしをしている人 家族のために働く人
   明日のために眠る人 夕飯の支度をする人
   読みかけの本を開く人 大事な夢を持ってる人
   大事な人を愛する人 子供の帰りを待つ人
   自分の国しか知らない人 自分の事しかわからない人
  
   奇妙な世界よ消えてくれ 奇妙な世界よ消えてくれ
   奇妙な世界よ消えてくれ 奇妙な世界よ消えてくれ

唯我独尊(ゆいがどくそん)

紀元前5世紀、インドで一人の男子が誕生した。

その子は生まれた途端七歩歩いて右手で天を指し、左手で地を指して、こう語ったという。

「天上天下唯我独尊」(てんんじょうてんげゆいがどくそん)

この男子、名を、ゴータマ・シッダールタ=仏教の開祖、釈迦の誕生である。

「天上天下唯我独尊」しばしば、誤って解釈される言葉。

かの広辞苑にも「世の中で自分一人だけが優れているとすること。ひとりよがり。」とある。

次の「詩」は小学校国語の教科書全社が採用しているもの。

   「私と小鳥と鈴と」    金子みすず
 

   私が両手をひろげても、

   お空はちっとも飛べないが、

   飛べる小鳥は私のやうに、
 
  地面(じべた)を速くは走れない。

   私がからだをゆすっても、

   きれいな音は出ないけど、

   あの鳴る鈴は私のやうに、

   たくさんな唄は知らないよ。

 
   鈴と、小鳥と、それから私、
 
   みんなちがって、みんないい。
 

明治36年生まれ、26歳の若さで亡くなった天才童謡詩人、

金子みすずの詩だ。
   

「唯我独尊」、この「詩」にその意味を知ることができる。

この世の中で、みんなそれぞれにお互い自分というのは、かけがえのない尊い存在であり、

かけがいのない尊い命である。

お互いの違いを認め、理解し合うことに努めなければならない。
 

「クリスマス」ほどメジャーではない「花まつり」釈迦の誕生日は四月八日。
 
仏教は五三八年、百済(朝鮮半島)より日本に伝えられた。

その朝鮮半島の長距離弾道ミサイル?通信衛星?が日本上空を通過した。

相互理解の難しさを痛感する大ニュースだった。
 
「和をもって尊しとなす」聖徳太子が十七条の憲法を制定したのは六〇四年四月三日。

3月 弥生

三月に入った。年が明けて二ヶ月が過ぎた。一月は行く。

二月は逃げる。あっという間だった。

陰暦で三月は弥生。語源は、「弥」・・・いよいよ。 「生」・・・生い(おい)。

つまり、草木がいよいよ芽吹き始めるということだそうだ。
 
三月、極寒を耐えた月である。

自然の生命がすべてそうであるように、私たちも芽吹かなければならない。

幕末の志士、吉田松陰の「講孟余話」(こうもうよわ)に、「桃の類は冬の雪に遭えば

枯れてしまうが、松や柏だけは雪の中でも青々としている。

人間の才能もこれと同じである。

世の中には、才能豊かな若者が大勢いるが、艱難辛苦(かんなんしんく)を経るに従って

優れた才能が崩れる者が少なくない。

寒さの中の雪は桃が枯れる原因であり、同時に松や柏が完成する原因である。

同様に、艱難辛苦は、人が挫折する原因であり、同時にその才能を完成させる原因である。

自分は才なき者ではあるが、松や柏に笑われぬようにしなければならない。

我が身を磨き鍛えて立派な人物にならなければならない。」とある。
 

その吉田松陰が密航しようとしたアメリカの話。(ぺりーの船に乗ろうとした。)

一七歳 マラリアにかかる

一九歳 天然痘(てんねんとう)にかかる
   
    肋膜炎(ろくまくえん) にかかる二五歳 赤痢にかかる

三五歳 再び赤痢にかかる

四五歳 虫歯ですべての歯がなくなる

この人物は、ジョージ・ワシントン。

アメリカ合衆国初代大統領である。

あり得ない数の病魔に襲われながらも野心を捨てなかった男である。

病魔が彼自身を磨き鍛えたのだ。父親が大切にしていた桜の木を切って、

正直に父親に謝罪した話は有名。  

三月、極寒を耐え、我が身を鍛えた受験生が才能を開花させる季節。
 
桜も花ビラを咲かせる準備は完了しているに違いない。       
                      
                            サクラ、サケ

ある政治家の話

一八三二年 失業する

一八三三年 ビジネスに失敗し多額の借金を負う

一八三五年 恋人が死去

一八三六年 神経衰弱になる

一八三八年 議長選に敗れる

一八五四年 上院議員選挙に敗れる

一八五八年 再度上院議員選挙に敗れる
  
なんと失敗続きの人生だろうか。不運の連続ともいえる。

しかし、彼は一八六一年 アメリカ合衆国第一六代大統領に当選する。

彼の名は、エイブラハム・リンカーン。

先月二〇日、オバマ、第四四代合衆国大統領の就任演説は記憶に新しい。

この演説はワシントンの連邦議会議事堂前で行われた。

そこにはリンカーンの像がある。 新大統領はその前で国家の結束を訴求した。

リンカーンの名言「人民の人民による人民のための政治」を引用して・・・。
 
エイブラハム・リンカーン、見事なまでの失敗続きの人生。

そして、諦めない人生。

彼の生き方は「成功するまでやれば必ず成功する」ことを教えている。

「失敗とは成功する前にやめることである」と言ったのは経営の神様、故松下幸之助さん。

 
諦めない生き方。成功するまで続ける不撓不屈(ふとうふくつ)の精神。

最後に、

「才能も素質もなかった。何をやっても不器用だった。そんな俺にできることは一つしかなかった。

努力し続けることしかできなかった。」 
            
  王者と呼ばれるスポーツ選手の言葉

新年、地球号にて

新しい年が始まった。昨年は閏年(うるうどし)だったので、

366日を過ごしたことになる。

その間、この地球は三六六日かけて太陽の周りを一周したわけだ。
 
         一年。

過ぎてみればあっという間の時間。私たちは、流れ行く時間の中で、様々な歴史に

遭遇した。

福田内閣辞任による麻生内閣誕生、平和の祭典・中国で開催された北京オリンピック、

アメリカ初となる黒人大統領の誕生、バブル以上の好景気、一転して百年に一度と言

われる世界大不況・・・・・。

  「変」、「変」、「変」。

公転する地球、より加速度を増す世界。

私たちが乗る地球号は規則正しく一秒の狂いもなく宇宙を航行している。

2008年1月1日午前0時0分0秒に出発し、366日の時間を経て、今、2009年

の航行を始めた。

地球の円周は約4万キロメートル、1日、24時間で一回転する地球。

私たちは、日々、24時間で4万キロの旅を続けている。

時速にして、約1700キロ。(旅客機のスピードのおおよそ2倍)

なるほど、世界は加速度を増すはずだ。

エボニー & アイボリー

「ホワイトハウスの壁を黒人が破った」

このニュースが世界に舞ったのは今月4日。

アメリカ合衆国初の黒人大統領の誕生である。

黒人公民権運動の指導者、キング牧師が「私には夢がある・・・」と演説を行って45年。

彼らは夢を捨てることはなかった。

We shall overcome そして Yes we can

アメリカ合衆国の歴史は黒人奴隷の歴史でもある。

Ebony  and  Ivory (エボニー & アイボリー)という曲を紹介しよう。

エボニーはピアノの黒鍵、アイボリーは白鍵を意味する言葉。

歌詞の内容は⇒

ピアノは黒と白とが調和しているのに、なぜ人間はそれができないのか?

Ebony  and  Ivory (エボニー & アイボリー)

作詞・作曲・・・ポール・マッカートニー

歌・・・ポール・マッカートニー&スティービー・ワンダー

Ebony and Ivory
Live together in perfect harmony
Side by side on my piano keyboard
Oh Lord, why don’t we ?

We all know that people are the same
wherever you go
There’s good and bad in everyone
We learn to live, we learn to give each other
What we need to survive
Together alive

Ebony and Ivory
Live together in perfect harmony
Side by side on my piano keyboard
Oh Lord, why don’t we ?

Ebony, Ivory, living in perfect harmony
Ebony, Ivory, ooh

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【日本語訳】

黒檀(黒鍵)と象牙(白鍵)は 完璧に調和して平和に共存している
ピアノの鍵盤上では 同じ方向を向いて並び合って 
神様 なのになぜ我々はそうしないのか

我々は皆知っている 人間は皆同じなんだということを
どこへ行こうとも
誰にだって良いところもあれば悪いところもある
我々は生き方を学び お互いに与え合うことを学ぶ
生き残ってゆくために必要なことなんだ
共に生きることが

黒檀(黒鍵)と象牙(白鍵)は 完璧に調和して平和に共存している
ピアノの上では 同じ方向を向いて並び合って 
神様 なのになぜ我々はそうしないのか

黒檀と象牙は 完璧に調和して平和に存在している

セメントと石

アメリカに端を発する株の大暴落は、この数日凄まじい勢いで日本を直撃している。

10月10日の日経平均株価は約5年4ヶ月半ぶりの8300円割れ。

(1ヶ月前までは1万2千円台であった。)

新聞・テレビニュースでは「世界の金融危機」等の見出しを連日みかける。

この現象がこのまま進むと日本経済はどうなるのか。

輸出産業は大きく減少し、企業の操業が短縮・倒産があいつぎ、労働者の賃金引下げ・

人員整理による失業者の増大。

79年前、昭和4年の1929年、アメリカではじまった恐慌(株の大暴落)は

「世界恐慌」に発展した。

その後、わが国が暗黒の道を辿(たど)ったことはご承知のことだろう。

2008年平成20年、9月、第92代内閣総理大臣として麻生太郎内閣が誕生した。

福岡県出身の総理大臣としては広田弘毅(ひろたこうき)内閣(第32代)以来、

2人目の総理大臣である。

新首相は、麻生財閥の名門出身。

セメント会社の社長を前歴にもつ。 かたや、故広田弘毅は、ただの石屋のせがれ。

セメントと石。

名門と平民。

(広田弘毅の内閣総理大臣の在任期間は1936年~1937年:昭和11年~昭和12年)

その平民宰相(へいみんさいしょう)は、戦争回避に努めながらも、戦争を強行した軍人たちと

一緒に、東京裁判において死刑を宣告され処刑された。

裁判において、「理由はどうであれ、戦争を止められなかった責任は自分にある」として、

一切の弁解をしなかった。激動の昭和を生きた意志ある男であった。

平成の世、時代も社会システムも広田が生きた時と異なる。 平和な世だ。

セメント、原料は石灰岩。水で練ることで強度なコンクリートになる。

新首相は、この「金融危機」を ” どのようなもの ” で練るのか? 

リーダーシップに期待したい。

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広田弘毅内閣、当時の外務大臣は、麻生太郎総理の祖父、

吉田茂であった。

吉田茂(よしだしげる)・・・・第45・48・49・50・51代内閣総理大臣

1951年(昭和26年)サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約

を結んだことは入試頻出。

~ビニール袋よりお袋~

やはり1月は行ってしまった。

大学入試センター試験を皮切りに受験シーズンが始まった。

2月は逃げる。

節分と言えば豆まき。昔は、住宅街のあちらこちらで、

「鬼は外、福は内」の声が聞こえていた。僕たち子どもは、

お父さんを鬼にして、ケラケラ笑いながら豆をぶつけていた。

今は「恵方巻」なるモノが流行っているらしい。この「恵方巻」

元は大阪の商人が始めた縁起担ぎである。その年の恵方

(ラッキーな方角)を向いて、黙って巻き寿司をかぶりつくという。

なるほど、家々からにぎやかな笑い声が消えたわけだ。

恐るべし、コンビ二の力。(数年前、大手コンビ二が流行らせた。)

以前の風習は商業主義により一変させられる。

しようがないことか。

わが国日本は明治時代、文明開化の名の下、日常生活の洋風化

を急速に普及させた。

暦も明治5年(1872年)12月3日を明治6年1月1日とした。

いわゆる太陽暦の採用である。そして欧米の功利主義が日本に浸

透していく。

受験シーズンは3月まで続く。

お母さん方に言いたい。

お弁当は「ビニール袋」より「お袋」

最後の1点は愛情あるお弁当で決まる。

~12月23日~

             ~12月23日~

12月、年が明ければ平成も20年めに入る。

昭和天皇の崩御から20年。まさに光陰矢のごとし。

先日、受験生の合格祈願のために、天神の水鏡天満宮へ 参拝した。

この神社の南側(ラクロス福岡側)の鳥居の扁額の「天満宮」の文字は

11歳の小学生が書いたものであることをご存知だろうか。

しかもその子は鳥居の工事をした、石屋の息子でしかなかった。

明治時代の話である。

後にこの小学生は修猷館高校を卒業後東京大学へ進学。

そして外交官となった。

1936年2.26事件後、第32代内閣総理大臣に就任する。

福岡県出身唯一の総理大臣、広田弘毅(ひろたこうき)内閣の誕生である

しかし、時代は彼にとって皮肉な運命を背負わせた。

就任期間は一年に満たなかった。その間1937年に日中戦争勃発。

広田は戦争防止に尽力したが、軍部は戦争を拡大していった。

戦勝国が敗戦国を裁いた、東京裁判(極東軍事裁判)ではA級戦争犯罪人として逮捕されることになった。

裁判では、一切の弁解をしなかった広田弘毅。

戦争を進めた軍人らと共に処刑されたのは昭和23年12月23日のことである。

今月、平成に入っての国民の祝日、天皇誕生日も19回目を迎える。

108

11月25日、今日は県模試の日である。期末ボケを解消する意味でも、

絶好の模試日と言っていい。  それだけではなく、今日は公立高校

入試カウントダウン108日。

「108]という数字は、仏教では人間の煩悩(ぼんのう)の数を表す。

煩悩とは、人間の心身をわずらわさせ、悩ませる一切の”迷いの心”

を意味する。

目標は立てたものの、口先ばかりで何もしてこなかった者は、

日々近づく現実に直面し、ひれ伏してはいないだろうか。

その者たちに問う。  

 「何故そうなったのか?」

答えは簡単である。日々、選択を誤り続けたのである。

勉強するかしないか。その選択に、楽な方を選んだのである。

 ”煩悩”に負けたということだ。

楽な道を選んで、その結果何を残してきたのだろう。

きっと、何一つ残っていないのではないか。

「黄昏(たそがれ)の砂浜は歩きづらいが、振り返ると

波うちぎわに自分の足跡が・・・・自分だけの足跡が・・・・

一つ一つ残っている。アスファルトの道は歩きやすいが、

そこに足跡など残りはしない。」
           
              遠藤周作(作家:故人)の著書より

ちなみに、遠藤周作はカトリック(キリスト教)であった。