松井の説教部屋

    おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり

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無償ということ

荒れる成人式。平成生まれもまた、例外ではなかった。

公費の無駄遣いと思わざるをえない低モラルの若者達。

これでは納税者は報われない。

今、私の目の前にいる十五歳の若者に教えなければならないことがある。

「来月、君は義務教育を卒業する。誤解しないで欲しいことは、義務教育とは、親が子どもに教育を受けさせなけ

ればならないものであって、君が、義務を果たしたわけではない。君は、教育を受ける権利を行使したにすぎない。

その義務教育期間の九年間、学校の授業料は無償であった。言うまでもないが、無償というのは、『タダ』を意味する。
 
ここで考えて欲しい、本当にお金はかかっていなかったのか。

例えば授業中、無意識に落書きをした、君のモノと思い込んでいる 『机』 〈2万位か?〉、

体育の授業で使う『バレーボール』〈○千円位〉、
 
君に国語を授業する『先生』〈月給○十万円〉・・・・・・・・。

どれをとっても『タダ』ではないのだ。これら全ての費用は、周りの大人たちが税金という形で負担してくれたものなのだ。

だから、一つひとつの『モノ』を大事にしなければならない。

だから、しっかりと勉強をしなければならない。

だから、君は納税者である大人達に感謝をしなければならない。」

間もなく、通常国会で高校無償化法案は可決され、公立高校の授業料をも 『タダ』になる。

家計の経済的負担の軽減としては結構なことなのだが、誰一人として、子ども達に、感謝をすることを教えず、

教育費の無償化だけが先走りするのは極めて危険なことだ。
 

この世の中に『タダ』なものなどないのだ。

あるとすれば、君が親からもらった、君自身の『身体』。

だからこそ、自分自身を大切にしなければならないし、親に感謝をしなければならないのだ。

無償の愛

日本人初となるスピードスケートでの金メダリストの清水宏保選手。

その栄光の陰には、想像を絶するトレーニングがあったという。

それは小学校低学年から始まった。

早朝4時過ぎから練習、放課後は夜8時近くまで練習、その全てに付き添った父親。

「お前は体が小さいから、人一倍練習しなくてはいけない。」父親との練習に明け暮れた少年時代。

スパルタだった父親。

「親父には殴られたし、蹴りも入ったなぁ。」 懐かしそうに当時を振り返る清水選手。

彼が高校に入学した頃、父親は体の不調を訴え始めた。やがて固形物が喉を通らなくなったが、それでもなお、

点滴をしながらスケートリンクに向かった。

スパルタに徹した父親。

その後、次第に病状は悪化し、彼が高校2年生の十二月、父親は入院を余儀なくされた。

清水選手が見舞いに行くと、 

「こんなところに来ないで練習しろ。」

清水選手は二度も病室を追い出されたそうだ。

それから、年が明けて間もなく、父親は静かに息を引き取った。

その傍らには、何度も何度も繰り返し見た、清水選手の高校総体での優勝のビデオテープがあったという。
      

無償の愛。

父親の均(ひとし)さんは、清水選手が小学生の頃、既に、胃がんの宣告を受けていた。余命数年の命だった。
 
「俺は、お前が成人するまでは生きられない。早く一人前になれ。」
 
通夜の日も、葬式の日も練習を休まなかった清水選手。

「お父さんは、きっと練習しろって言うだろう。」

清水選手は泣きながら練習をしたそうだ。
  

昨年暮、長野オリンピック・スピードスケート金メダリストの清水宏保選手は引退を表明した。

歓喜の調べ

年も暮れゆく師走、今年も日本各地で、ベートーヴェンの交響曲「第九」の演奏会が開かれる。

起源は、太平洋戦争最中の昭和十八年十二月、東京音楽学校(現東京芸術大学)で、出陣する学徒のために開

かれた壮行会において演奏されたことに由来する。

(昭和十八年には学徒出陣といって、大学生にも徴兵令が出された)

当時、日本と同盟関係にあったドイツが生んだ音楽家ベートーヴェン。

彼の少年期、ヨーロッパ諸国は絶対王政、封建下にあった。

衝撃の事件は彼が十九歳の頃起きた。 一七八九年のフランス革命だ。

「自由」「平等」「博愛」これがこの革命の精神。

ベートーヴェンはこの革命に強い感動を受けた。

その後、この革命の精神はナポレオンの名とともに、ヨーロッパ各地へ広がることになる。

一八〇四年完成した交響曲「英雄」はナポレオンを称えて作曲したものだ。

(この年、ナポレオンは、自らがフランスの皇帝となり、ベートーヴェンを落胆させた。)

一八二三年十二月、耳が聞こえなくなったベートーヴェンは全ての絶望を乗り越え、「歓喜」を

テーマに交響曲第九番(第九)を書き上げた。

「人間は、身分や貧富の壁を乗り越え結束できる。

地球上の全ての人々は仲間である。」これが交響曲「第九」に託されたメッセージなのだ。

平和を願い、自由に憧れたベートーヴェン。

その魂の集積ともいえる「第九」、それが学徒出陣で演奏される皮肉。

「時代」とは常にそんなものである。

「第九」は戦後、戦場に散った多くの友へのレクイエム(鎮魂歌)として演奏され、現代では、

もっと一般的な意味で、十二月になると全国各地で、演奏会が催されている。

ベートーヴェンが「第九」を完成させて五十余年の後、明治維新後、日本に文明開化の波が押し寄せる。

衣食住、習慣など日本人としての常識の西欧化が始まった。

日本人は、freedom、「自由」という言葉をこの時初めて知ることになる。

自らを由とすることで、「自由」。そう訳したのは福澤諭吉。

フランス革命に遅れること、百年。

「自由民権運動」に代表されるように「自由」は日本各地に浸透していった。

しかし、時代が昭和になると、この「自由」を「勝手」に操作する者達により、昭和十二年日中戦争、

昭和十六年太平洋戦争と、暗黒の歴史を歩まねばならなくなった。

同盟国ドイツもまた然りである。

福澤諭吉は当初、「自由」を「(自分)勝手」と訳していた。

時代は常に「自由」というタクトを振り「歓喜」の調べを奏でるコンサートホールであって欲しい。

20世紀少年

私もまた、二〇世紀少年だった。

幼少期の一九六八年、九大に米軍機ファントム墜落。

激化する学生運動。

体をゆらし走っていた路面電車の長椅子にお膳座りし、その窓から見た、学生のデモは今も鮮明な記憶として

私の中にある。

その年「♪おらは死んじまっただ・・・♪」が大流行する。作曲者の加藤和彦氏は先月他界された。

大人達は豊かさを求め、モーレツに働いた。どの家庭も裕福とは言い難いながらも、家族に温もりがあった。

そんな時代、高度経済成長と呼ばれた時代。集大成は大阪万博といえるだろう。

「人類の進歩と調和」をテーマに、東京オリンピックに次ぐ国家的イベントとして開催されたのが一九七〇年。

故岡本太郎画伯の「太陽の塔」は「なんじゃこりゃ」と誰もが思うほどの強烈なインパクトだった。

好景気が一転したオイルショックの年 、一九七三年。人気テレビドラマ「太陽に吠えろ」に登場した、ジーパン刑事、

松田優作。 今月六日で没後二十年となる今も、彼のファンだった私は、遺作である、ハリウッド映画「ブラックレイン」

は観られずにいる。

観るはずだった前売り優待券は今も机の引出しの中にある。

彼は、忍者でもカンフーでもない、日本の、アジアのハリウッドスターの先駆者といえる。

二〇世紀少年だった私は類に漏れず、野球少年だった。(少年野球ではない。子供の世界に大人は立ち入らなかった。 )

小学生当時、そこかしこにあった空き地がグラウンドである。

学校が終わり、家へ帰るやいなや、グローブとバットを持って、自転車でそこへ駆けつけなければならなかった。

その場所は早く占拠したものに所有権が与えられるという暗黙の了解があったからだ。早い話が「取ったもん勝ち」

それでも、遅くやってきた連中がなかなか帰ろうとしない場合は、これまた暗黙の内に「試合」となるのである。

子どもながらに、調和を保つ術を知っていたのだろう。

福岡の野球少年にとって、好きな球団はライオンズに決まっていた。

しかし、野球界のスーパースター、長嶋茂雄に憧れない者はいなかった。

背番号3。草野球の少年たちはこの背番号を競ってつけたものだ。

その長嶋氏が巨人軍を引退した年、一九七四年、後に「ゴジラ」と呼ばれる男の子が誕生する。

松井秀喜。

甲子園のスーパスターはドラフト会議で、野球界のスーパースターに引き当てられた。

その後、アメリカに渡り二〇〇九年ワールドシリーズ、チャンピオン、MVP。

 
二〇世紀少年には想像もつかぬ偉業を成し遂げた。
 
二一世紀少年たちは、どの窓からこの瞬間を目撃したのだろうか。

ワクチン

新型インフルエンザを予防するワクチンが開発された。

ワクチンとは、簡単にいえば、本物のウイルスから毒性を取り除いた偽物のウイルスと思えば良い。

これを体内に入れることで、免疫がつくられるわけである。(免疫とは、ウイルスに対抗する力)

WHO(世界保健機関)が、メキシコを発生源とした新型のインフルエンザにより57名が死亡し、今後、

アメリカ・メキシコを中心に全世界に大流行する可能性があると報告したのが今年4月。

日本の厚生省もこれを受け、感染者を水際で防ぐために国際線の空港で大げさとも思える検疫検査を行った。

このマスコミ報道で一時的ではあるが、薬局からマスクがなくなった。

当時の麻生内閣は異例とも思えるテレビによる政府公告(コマーシャル)で「冷静な対応を」と国民に呼びかけた。

福岡の小中学校で学級閉鎖が起こったのはそれより2ヶ月後の6月。

それから数か月、瞬く間に新種のウイルスは感染を拡大し、身近な症例となった。 日々増える学級閉鎖、学校閉鎖。

半年前のテレビのニュースが、気がつけば日常のものとなっている。

何よりもそのスピード。新型ウイルスに限らず、金融、経済、情報・・・。

海の外の話題は、いつの間にか、我々の身近で起きている。

そして、我々の裁量で処理しなければならないものになっている。
 

アメリカの金融危機に端を発した世界恐慌、長引く不況は未だ底を打つ気配を見せない。今月のアメリカの失業率は

約10%、これは一九八三年以来の悪化だそうだ。

その一九八三年、当時の大統領、レーガンは「経済衰退の原因は教育にある」とし、自ら組織した「教育の卓越に関す

る国家委員会」から、「危機に立つ国家」と題する報告書を提出させ、教育の大改革を断行した。

その報告書の内容とは、

「個性重視、自主性重視の教育がもたらしたものは、急激な学力低下を招いたばかりでなく、基本的な道徳をも身につか

せていない。これでは、国家は存続できない。まさに、国家の危機である」というもの。

この改革から二十年後、アメリカ経済は見事復活を遂げることになる。

しかしその十年後にはバブル経済故の、バブル崩壊となり、現在に至っている。

我が国の失業率は5%超。かつてのアメリカのような教育の大改革の必要があるのではないか。「経済衰退の原因は教育

にある」、もはや、ワクチンなどという予防では何の意味ももたない。

10年かかるか、20年かかるか。大手術が必要ではないだろうか。